私は西暦しかない国で育ていま「和暦」のある国にいます
確かに「えっと今西暦何年だから平成〇年」だな と悩むことは多々あった
でもさこれってある意味凄い事なんですよ うちの海の向かいには英国がある
英国も同じなんですが「女王」の時代と言う「時代の節目」があるわけね
例えばさ「安倍総理」の時代「野田総理の時代」「菅総理の時代」と
直接の生臭い「政治」で時代を切ると 時代感が「政治感」というレンズをもって話し合うことになる
ところが「平成」とくくれば生臭い政治論ではなく「そこを生きてきた個々の人物」という
価値観でみることになる
それがこの国全体で起きるんだよ
本来なら10歳 と90歳が 「同じ価値観で同じタイミング」で時代感を語る機会ってそうそうないよ
この「共通して生きてきた時代を考える」ってのが改元なんじゃないかな
元号がいる いらないじゃない
ある程度の時間ごとに皆が一緒に物を考える区切りがある
確かに無駄な制度かもしれないが 無駄だからこそ気が付かない価値観と言うのは存在する
無駄をすべて排除するのが幸せな事なんでしょうか
無駄を共有できる世の中ってのはそれだけ「幸せな時代」が続いたってことじゃないかな
確かに「えっと今西暦何年だから平成〇年」だな と悩むことは多々あった
でもさこれってある意味凄い事なんですよ うちの海の向かいには英国がある
英国も同じなんですが「女王」の時代と言う「時代の節目」があるわけね
例えばさ「安倍総理」の時代「野田総理の時代」「菅総理の時代」と
直接の生臭い「政治」で時代を切ると 時代感が「政治感」というレンズをもって話し合うことになる
ところが「平成」とくくれば生臭い政治論ではなく「そこを生きてきた個々の人物」という
価値観でみることになる
それがこの国全体で起きるんだよ
本来なら10歳 と90歳が 「同じ価値観で同じタイミング」で時代感を語る機会ってそうそうないよ
この「共通して生きてきた時代を考える」ってのが改元なんじゃないかな
元号がいる いらないじゃない
ある程度の時間ごとに皆が一緒に物を考える区切りがある
確かに無駄な制度かもしれないが 無駄だからこそ気が付かない価値観と言うのは存在する
無駄をすべて排除するのが幸せな事なんでしょうか
無駄を共有できる世の中ってのはそれだけ「幸せな時代」が続いたってことじゃないかな