国体論って言うのは タイトル通り本当は左派の言った言葉なのです

左派が持ち上げ「日本の国体」と言う言葉が生まれそれを右派は論破できなかった

まず事の始まりは
ソビエトの仲間割れから始まります
共産革命は 「世界同時に起きる と言う主張」トロイスキー派と革命先進国であるソビエトが管理指導すべきと言う主流派との争いにトロイスキーが破れ外国で頓死したとき

日本共産党委員長が日本の監獄にぶち込まれ監獄の中から 日本共産党宣言を行い
その中で(意訳)

日本の社会は 天皇と言う現人神がおられ
余りにも尊い中核があるが故にそれ以外の物は ちり芥に等しい
故に日本の社会は公平である
いわばソビエトのような公平のない後進的な革命論は
天皇制がある日本のほうが より昔より平等であるがゆえにわが日本共産党は
皇室と言う国体がある伝統も革新性の上でも先進的な我らがソビエトのような国に従う必要はない
と言うような内容を昭和八年にぶちまけ
ソビエトとの決別 日本は日本で歩む と言いだしたわけですな

右派は 驚いたわけです それまで皇室打破を訴えてた共産党が
皇室こそ我ら日本共産党の守護であり
皇室があるからこそ日本共産党が 世界の中心であると とらえてしまったからですな(´・ω・`)

んでそのころ満州がえりが大陸的な還俗優先思想を持ち帰ったため
日本の右翼内にも 純粋な郷土愛論を訴える者や日本は既に強いんだ論や現地見た結果ではもっと国力を育てないとと 意見が混乱したこともあり この皇室国体があるが故の世界初の共産国家日本国体論を論破する暇もすり合わせも出来なかったわけです

その間に法曹界や言論界で「左派による皇室の権威利用=国体論」が拡散され
右派による反論は3年後遅れて「国家論から見る国体論」が発表されるまで利用も反論もされませんでした

ところが戦後 国体論を左派も言論界も「右派のプロパガンダ」として
戦後の反省の元に責任を擦り付けたわけですな

歴史的には国体論は
1 左派が左派同士の元祖争いをするために皇室と言う権威を利用するために「掲げた神輿」
2 それにより言論界(特に報道)が売るためのプロパガンダに右派も左派も 国論 国体論を掲げ
勝手に今生陛下の御意志は・・と自社の考えに流用
ことに朝日毎日による 日本こそ大国 指導者 我々は・・・と言う
極右洗脳プロパガンダを行うときに使われた言葉 
いわゆる指導部 軍部が我先に使った言葉ではない
3 報道が国純主義を歌い その過程で「国体論」と言う言葉が先に一般的な言葉として普及
4 大正・昭和初期の不況の元 大陸派が帰国 
主張を説明する用語として当時最先端であった新造語「国体論」を語ることで
対抗する言葉を持たない主流派の言論を封殺
5 これにより右派および主流派がいつの間にか「国純主義」に染まる

6 戦後なぜか右派が「国純主義」を語るために「国体論」を語る と書き換えられる

これが正しい歴史です
正しい歴史を知らんから あほな園長が浅はかに語るわけ

要は 国体論とは

日本共産党と 朝日と毎日が生んだ プロパガンダ用語であり
右派が語ったのは 一般用語としてその言葉が定着したので
彼らに反論する者たちが論破する必要があり各々の陣営が勝手な国体論に解釈を広め
最後に踊らされた陸軍さんたちもその神輿を利用したがゆえに

悪い言葉として記憶され 真っ先に語った左翼や朝日毎日により冤罪対象として祭り上げられた
「権威」を叩く正義の俺様は反省した ポーズ・・・って構造ですな

左派が国体 と言う言葉を嫌うのはお門違いであり
報道がそれに便乗するのはもっとも愚かなのです
それを語る者を叩く前に 己たちがその言葉を生みプロパガンダした結果
カウンターとして国純主義が生まれ それを報道が育て
国民はおろか指導者層までも洗脳してしまった自己反省をするのが先ではないでしょうか

叩く前に その背景を正しく伝えるべきです