まず民主制とは「専制の少数による多数の支配」の否定から生まれた
「多数による少数の支配」が根底である

国民が主権者である以上 政治家とはコマである 主人ではない
本質として人は己は聖人でいたい。自分の声を聴く政治家と言うことは反対側の意見を聞かないと言う行為である
要は「自分に代わって欲望を叶える人物」であり「欲望を叶えるために他者を弾圧する人物」を選択するのが選挙だ

予算は限られている以上 年金をよこせと言えばそれ以外の予算を分捕るしかない
今が大事と言えば 将来を犠牲にする
子育てこそカギと言えば 独身やすでに子育て終った人を抑圧することになる
若い世代こそ重要と言えば先人である現役や退役世代の配当を奪うしかない

結局は どの道を選ぼうが政治家である以上「必要悪」なのだ
必要悪、もしくは自分の代わりの汚れ役を選ぶ行為に
「クリーンな聖人像」を選ぶから世の中は歪む
聖人は何もしないから聖人なのだ
何かをする以上誰かには悪である 必要悪なのだ
必要悪なのに聖人に見えるのは「欺瞞がうまい詐欺師」だからだ

本質が判っていれば「なるべく害の少ない必要悪」を選ぶだろう
詐欺師や夢想癖を持った愚か者に政治を任せようとするから
肝心の国民(支持者)を見ないのだ 支持者すら見ない者が大多数の国民を見るわけがない
政治家の言う国民の・・・有権者の・・・ほど怪しい発言はないのだ
何しろ本質は悪なのだ
悪ゆえに選んだあとの監視がいるのだ
悪である政治家を妄信し己の過ちを悔いる行為をしない

所詮必要悪であり 己の使い魔でしかないのだ
使い魔の暴走は主人である有権者の責任である 政治家の責任ではない

愚か者ほど政治家の責任にするが 政治家とは個人の欲望の代弁者であり質の悪い使い魔である
ここを理解しない限り愚か者による迷走政治は終わらないだろう

聖人面する政治家を見てみろ 蓮舫たち 辻本たち 瑞穂たち 志位たち
どれも中身がないだろうに
悪人故 国民の理解や犠牲を訴える政治家を見てみろ 実行力が少なくともある

政治を選ぶとは 害のない使い魔 己の欲望達成の為の必要悪を選ぶ
悪人である自分の精神的満足を得る代替行為に過ぎないと言う政治の本質を学ばない限り
真の民主制を理解できないだろう