個人事業の一部に各種リスクアドバイザーを営んでいます
少し変わったリスクを分析する関係でいわゆる僻地にもいく機会があります
少し過去の話ですがアフリカをブラブラしてきました
キリスト教とイスラム教の緩衝地帯
国には所属するが国と言う概念より民族概念のが高く
その民族感ですら希薄で部族?村がすべての地区での話
50人ほどの集落ですから歴史上の沢山という概念を示す数字が大雑把10
10人の人が亡くなる=多くの人が無くなる
豊かな富=10日分の食料や水
大金=10日分の現金収入
富豪=家畜10匹
遠い距離 歩いて1週間

待ち合わせの概念以前に待つと言うことが無い
あえない場合はそれは神のお導きが無い仕方がない事であり
お互いに恨むべきことではない

物凄くシンプルな社会
一台のYAMAHA(発電機)と5個のバッテリーが集落の富の証
この人たちは 財産は無い 不幸な人なのだろうか?
長老は言った
我々は、神に恵まれた幸せな部族である

さて幸せとは何だろう?10キロの小麦粉が部族を支える富であり
その小麦を旅人に施すことで豊かさを共有する社会構造

我々西側先進国は、10キロの小麦を家畜に与え1キロの肉を食べるが
その1キロすら遊びで利用しデカモリやバカ食いなどと浪費し
実質的に1キロも食べず廃棄している
それでも豊かではなく社会が歪んでいると不平不満を言う 
何トンもの小麦が買える車に乗るがそれでも豊かではないと言う

10キロの麦で部族が豊かであると言い切る住民と
何トンもの小麦を買える対価を浪費しながらも貧しいと言う先進国住民
幸せとは 現金で買えるものなんだろうか・・・
我々現代人は どこかで幸せの物差しを間違ったのかも知れぬ
不安定な貧困社会である国の国民が得る幸福感と
我々の幸福感を達成させるための富・・・時々疑問に思う

幸福感とは一体何なんだろう